30(2/2) ― 家出の真相
「エリー、何でこんなことをするの?」
痛みと衝撃で、少しの間、動けなかったマリエッタは、なんとか上体を起こすと、突き飛ばしたであろうエリーへ声をかける。
竜人のエリーには、マリエッタが見えているだろうが、人間のマリエッタには、暗闇しか見えない。
「ふん、いい様ね。
どう、可愛い可愛い侍女のエリーちゃんに裏切られた気分は?」
クスクスと笑うような声が闇の中から聞こえてくる。
「そうねぇ、今迄せっかくマナー教育をしてきたのに、その喋り方は、いただけないわ」
「っ! そんなことを言っているんじゃないわよっ。
ま、まあいいわ。
せいぜい悔しがるといいわ。
どお、綺麗な場所で、皆に傅(かしず)かれていたのに、こんな薄汚れた穴の中に入れられた感想は」
マリエッタにはエリーの声しか届かないが、その顔には皮肉気な表情を浮かべているのだろう。
「そんなことより、紙とペンを持ってきて」
「はあ?何を言って……。あ、ああそう、そういうこと。助けを呼ぼうと思っているのね。
甘いわよっ。アタシがあんたの言うことを聞くと思っているの?」
「アタシではなく、わたしね。
甘いのはエリーよ。このまま私が失踪したら、どうなると思うの?
アーツが暴走して、国が半分くらい無くなるわよ。アーツが暴れないよう、手紙を書くわ。
早く紙とペンを持ってきなさい」
マリエッタの言葉に、はっとするエリー。
マリエッタを陥れることばかり考えていたエリーは、あの暴走竜王のことを失念していた。
マリエッタのことになると、見境を失くし、どこまでも残忍になる竜王のことを。
今まで侍女としてマリエッタの近くにいたから、マリエッタを失った竜王がどうなるか、簡単に想像できた。
渋々紙とペンを取りに行く。
収納庫の側を離れる時は、しっかりマリエッタが逃げないよう、収納庫の蓋をした。
「紙とペンだけじゃだめよ。
私は竜人じゃないから、全然見えないの。これじゃ書けないわ。燭台を持ってきて」
「いちいち煩いわねっ」
文句をいいながらでも、エリーは火のついたろうそくを持ってくる。
「ええっと、アーツへ、すぐに帰るから、心配しないで待っててね。これでよし。
エリー、これを寝室のテーブルの上にでも置いておいて」
「え、これだけでいいの?」
「他に何を書けっていうの。さあ、早く」
紙をエリーに渡すと、マリエッタは急かす。
エリーは渋々、収納庫にまた蓋をして寝室へと向かった。
収納庫に蓋をされると、それこそ闇に包まれる。
しかし、元から夜目がそれほどきかないマリエッタにすれば、変わりはない。
そのままマリエッタはうずくまる。
収納庫に落ちた時、マリエッタは右の足と右わき腹を強打していた。
足は折ったのか捻ったのか、激痛がしている。動かさなければ、なんとか我慢できる。
だが右わき腹は、息を吸うたびに痛みが走る。
そんなに深い収納庫ではない。元気なマリエッタなら蓋がしてあろうと、何とか脱出することが出来ただろう。
しかし、今は息をするのですら辛い。
立ち上がれるかどうかも分からない。
「エリー」
小さくマリエッタは呟く。
エリーが自分を憎んでいることは、うすうす分かってはいた。
ただエリーには、しがらみから抜け出して、幸せになってほしかった……。
暗闇の中うずくまるマリエッタは、そのまま意識を失っていった。