32(1/2) ― 穴の中のマリエッタ
エリーを一目見た時、サニオに良く似ていると思った。
髪の色や瞳の色は違うけれど、まとう雰囲気が似ているのだ。
王宮に上がるためには、身上調査は徹底的に行われる。
勿論エリーも調査された。
ユージニア男爵令嬢のエリーは、身分は低いが危険因子は無いと判断された。
何度も養子先を変え、名前も生まれも変えて、ここまで来たのだろう。
エリーがサニオの孫だとは、調査で判明することは無かった。
しかし、王宮に上がったエリーを一目見た時、マリエッタは確信していた。
迷いが無かったとは言えない。
だが、マリエッタに密かにマーマリア伯爵が接触してきた。
名乗ることは出来ない娘を思い、頭を下げにきたのだ。
マリエッタにエリーが自分の娘だと知られれば、サニオの孫だと知られ、マーマリア伯爵家に咎が及ぶかもしれないのに。
それでもマーマリア伯爵は、正直にエリーを自分の娘だと言ったのだ。
そして、エリーを守ってもらえないかと。
エリーは知らないのだろう、マーマリア伯爵は名乗れない娘を影から守ってきたことを。
マリエッタは、エリーを自分付きの侍女とした。
マリエッタ付きの侍女として、王宮で何年か勤めれば“箔”が付き、より良い所へと嫁ぐことが出来る。
マリエッタにしてやれることは、それぐらいしかなかった。
エリーは屈託なく良く笑う、明るい、いい娘だった。
それなのに……。
このままでは、ジュライアーツに知られた時、エリーは、どうなってしまうのか。
マリエッタは、それだけが心配だった。
「いかが、穴蔵の生活は?」
上から蔑むように睨み付けるエリーが今日は、よく見える。
珍しく、今日は昼間に蓋を開けている。
マリエッタが行方不明になった当初は、この家出用の家も、バタバタと捜査の手が入っていたが、あまりにも狭い家出用の家のため、すぐにマリエッタ様捜索本部は、隣の詰所へと移された。
今、この家出用の家には、何時マリエッタが帰って来てもいいようにと、お留守番として、エリーが1人残っている。
それでも、エリーは、収納庫の蓋は、深夜にしか開けることはなかった。
「昼間開けるのは珍しいわね」
「ふん。あんたが打ちひしがれている様を、じっくり見てやろうと思ってね。泣いて命乞いでもすればいいんだわ」
何日ぶりかに明るい場所でマリエッタをみて、エリーは何故かギョッとしている。
「そうねぇ、お風呂に入りたいわ。頭洗いたい。それに、トイレが壺っていうのがねぇ。やり辛いったらないわ」
「そんなことを聞いているんじゃないわっ!」
無理やり怒った表情をエリーは作っているようにマリエッタには見えた。
まるで叱られるのが分かっていて、先に怒って誤魔化そうとしている幼子のように。
「……ねえ、どうして食事をとらないの」
エリーが小さな声で問う。
エリーは深夜に1度だが、キチンと食事を届けている。
量も多いし、なかなか手の込んだ上等なものだ。
「だって、こんな狭い所じゃ食べにくいのよ」
「嘘よっ! 何日も一口も食べてないじゃないっ。あてつけなの? そんなことしたら、自分が苦しいだけじゃない。せめて水ぐらい飲みなさいよっ。こんなこと続けたら……」
グッと、何かを堪えるように、エリーは喚く。
いくら近くに人がいないとはいえ、大きな声は出すべきではない。
「やだっ、その足はどうしたのよっ! すごく腫れているじゃないっ。どうしてドレスで隠してるのよっ」
マリエッタの右足は、酷く腫れ、色も変色してきている。
「年を取るとね、足首って太くなっていくのよ。加齢って、止められないのよねぇ」
「そんなこと言っているんじゃないわっ。いつも、あんたが座ったままだったから気づかなか……」
エリーは言葉を止めて、マリエッタを凝視する。
「まさか……。まさか、動けないの? 水も飲めない程、具合が悪いの?」
明るい所で久しぶりに見たマリエッタが、あまりにも憔悴しているように見え、エリーはギョッとしたのだ。
まさか収納庫に落としたぐらいだというのに……。
エリーはマリエッタが脆い人間だということに気づいていないのだろう。こんなに辛そうにしているのかが分からないのだ。
「やだ……。ウソでしょう。何でよ! どうして具合が悪いって言わないのよっ。怪我しているって、なんで言わないのよっ!」
とうとうエリーは泣きだした。
自分がしたいことは、こんな事じゃなかった。
キッチンに黒い虫が出た時、大騒動になり、部屋の中が荒れてしまった。
エリーは後片付けの為、1人掃除をしていて、この収納庫を見つけたのだ。
その上、居間の戸棚の裏が隠し扉になっていることは、随分前から気づいていた。
少しいたずらをしてやろうと思ったのだ。
マリエッタを収納庫に落とし、隠し扉を露わにしたら、皆はどう思うだろうか。
マリエッタがいなくなったと、慌てるだろう。
少しは気が晴れるのではないかと思ったのだ。
生まれた時から咎人として人の目を気にして、転々としてきた自分の、この理不尽な怒りが、少しは晴れるかもと思ったのだ。
――― 軽い気持ちだった ―――
マリエッタが悪いなんて思っていない。
マリエッタは被害者だと理解もしている。
自分の、会ったことも無い祖母が、自分の人生をメチャクチャにしていることに、どこに怒りをぶつければいいのか、分からないのだ。
祖母は処刑されたと聞くが、残された自分は、誰を恨めばいいのか。
幸せそうなマリエッタを見て、自分の苦労を少し味わわせてみたいと思った。
収納庫に落として、一晩ぐらい詰め込んで、ちょっとマリエッタを泣かせてみる。
それで終わりだと思っていた。
まさか、こんな大事になるとは思ってもいなかったのだ。
マリエッタを収納庫から出すタイミングを完全に無くしてしまった。
マリエッタから、犯人が自分だと告げられれば、全てが終わってしまう。
竜王のことを思い、ゾッとする。
あの残忍で容赦のない竜王を。
このままでは、自分は祖母と同じ道を辿るのだろう。
怖い。
怖い、怖い、怖い……。
エリーは、震える自分の身体をギュッと抱きしめることしか出来なかった。