●美魔女な龍王妃は家出中●

32(2/2) ― 穴の中のマリエッタ

「エリー」
マリエッタがエリーを呼ぶ。
壁にもたれたまま、動かないままだ。
逃げ出そうと思えば、すぐにでも逃げ出せるだろう場所から動くこともなく。
声を出せば、誰かに聞こえるだろうに、声を上げることも無い。

「なに?」
エリーは、もうどうしたらいいのか分からない。

「お願いがあるの」
マリエッタは、微笑んでいる。
こんな酷いことをした自分に、どうして優しげな表情を作ることができるのか。

「もうすぐ私は死ぬの」
「え?」
マリエッタの言葉をエリーは理解できない。
マリエッタは何を言い出したのか。

「エリーのせいじゃないのよ。私の寿命なの。仕方のないことなの。エリーには面倒をかけるけど、お願いを聞いてほしいの」
「何を言っているの? 寿命って、どういうことなのよ」
焦るエリーはマリエッタが何を言い出したのかが分からない。いや、分かりたくもない。

「エリーは竜気を扱えるでしょう。私が死んだら、この収納庫の中に隠したままにしておいてほしいの。1年……。半年でいいわ。私の気配をアーツに気取らせないようにしてほしいの。私が死んだことを、アーツに知らせないようにしたいのよ」
マリエッタは喋ることすら辛いのか、ゆっくりと話していく。

竜気を持った竜人達だが、竜気にも得意不得意がある。
ジュライアーツは、大陸をも消滅させるような破壊的な力を得意としているが、人を癒すことや、物を構築することは苦手としている。

エリーは、人の気配を消すことは出来ないが、違う場所へと移すことを得意としている。
地下の収納庫にいるマリエッタの気配を寝室や居間に移し替え、他の竜人達にマリエッタの居場所を特定させないようにすることができる。だからこそ、マリエッタの失踪が成功してしまったといえるのだが。


真っ暗な床下収納庫に詰め込まれ、マリエッタはすることが無かった。
足や脇腹の痛みに耐えながら、ぼんやりと考え事をするだけだった。
マリエッタは、ジュライアーツと死ぬまで一緒にいようと思っていた。
ジュライアーツに手を取ってもらい、逝こうと思っていたのだ。
ジュライアーツと共に過ごし、死んでいけたらと、自分の悩みが解決したと、そう思ってしまっていた。

なんて傲慢で、独りよがりな考えだったか。

目の前で、自分が死んでいくのを見守らせるなんて、アーツのことを考えてなんかいなかった。
アーツの心を、アーツの苦しみを少しも思っていなかった。

いくら”魂の番”で結ばれていないとはいっても、アーツはマリエッタのことを、愛していると言ってくれている。
そんな相手が、手の中で冷たくなっていく……。
アーツにそんな思いをさせてはいけない。

今、アーツは自分が失踪したと思っている。
生きて、どこかで生活していると。
死んだと知らされるよりも、どこかに隠れていると思っている方が、アーツの苦しみを少なくすることができるのではないだろうか。


自分の身体には時間が無い。
アーツと離れて、すぐに身体の不調が強くなってきた。
いつもは身体の内臓がドロドロに溶け出すような不快感がマリエッタを襲っていたが、そのドロドロとしたものが集まって、暴れているような、押えようのない苦しさに変わっていった。
「ぐっ……」
不快感がマリエッタを襲う。
床下収納庫の中で、なんとか乗り切ろうと身体を小さく丸める。
今回の不快感は、いつにもまして強い。

「が、ぐぅ、うぅぅ。」
意識が遠のいていこうとする。今回はもうダメかもしれない。
マリエッタの頬を涙が伝う。

これが最後だというのなら、ただジュライアーツに会いたかった。ジュライアーツに側にいて欲しかった。
段々苦しさが増してくる。もう息すらまともに出来ない。

「どうしたのっ。マリエッタ様っ。マリエッタ様っ、しっかりしてっ。うそっ、うそよっ。いやーーーっ!」
エリーの悲惨な悲鳴が辺りに響く。


「アーツ……」
そのまま、マリエッタは意識を失った。