39(3/3) ― マリエッタの姦計(かんけい)
「私がグレンツに騙されて薬湯を飲まされた時のことを憶えている?」
いきなりマリエッタの話は過去へと飛んでしまった。
グレンツは不審がりながらも返事をする。
「勿論です。あの時は陛下と事務隊隊長のザガーリオが、いきなりやってきて、マリエッタ様襲撃事件の真相を聞き出そうとしたのでしたよね」
「そう。あの時アーツが人払いをしたでしょう。それで不審がった侍女たちや紅薔薇隊の中で、噂が流れたの。どんな噂が流れたか知っている?」
マリエッタはワクワクと、楽しそうに問う。
「噂ですか……。いえ、私は女性たちの噂話までは」
「ウフフ。そうでしょうね。面白い噂よ。あなたが賊を使って、紅薔薇隊から私を奪い、駆け落ちしようとしたんですって」
「げほっ! な、なんですかっ、その噂はっ」
グレンツは思わず咳込む。
(なんじゃ、そりゃあ)
身分が無い分、立ち居振る舞いぐらいは上品に。そう気を付けているグレンツだが、下品な言葉で脳内ツッコミをしてしまうほどの衝撃だった。
「みんな噂話として、面白おかしく話していたんでしょうけど、エリーだけは、それを本気にしてしまったの。エリーは、私が隠していた居間の隠し扉のことを知っていたんでしょうね。それで、私がこっそり家出用の家から抜け出そうとしていると思った。私もグレンツと同じ思いで、合意の上での駆け落ちをしようとしていると思ったのね」
楽しそうに話すマリエッタ。
渋い顔で聞くグレンツ。
「そして、あの日。倒れた私の体調が戻ったと、侍医からお墨付きを貰った翌日のことね。私だけが家出用の家へと出発して、アーツは次の日に来ることになった。わざと私がアーツを王宮に足止めして、その間に、グレンツと示し合わせて、駆け落ちすると思ったのね」
「あー……」
グレンツとしては、何と答えていいのか言葉が出てこない。
どこをどう突っ込めばいいのか分からない。
「エリーはね、生まれた時から咎人として生きてきた。お母様は早くに亡くなられたそうだけど、父親とは名乗り合うことさえ許されていない。自分に関わると、その人まで咎人になってしまうから……。そう思ってきたんでしょうね。だから人を好きになってはいけないと、自分に言い聞かせていた」
グレンツは、マリエッタの言葉を聞いているが、実感が湧かない。
こんなオジサンを若い子が好きになるのだろうか?
「でもエリーは、グレンツのことが好きになってしまった。告白どころか、近寄ることさえできないのに。自分が諦めきれない程、大切に思っていたグレンツが、駆け落ちしようとしている。タガが外れちゃったんでしょうね」
「ですが、普通、思い込みだけで、そこまでやりますか? 竜王妃様に危害を加えて、自分がただで済むとは思わないでしょう」
「あら、あなたのためよ」
グレンツの言葉にマリエッタはケロリと答える。
「私のですか?」
「そう。竜王妃を監禁すれば、大騒ぎになる。アーツだって紅薔薇隊だって、私から離れなくなるわ。まあ、私が死にかけたのは想定外でしょうけど。勿論自分が罰せられるのは分かっていたはずよ。それでも、あなたに駆け落ちをやめてほしかった。私と駆け落ちしたって、アーツから逃げおおせることは無理に決まっている。すぐにアーツに捕まって八つ裂きにされる。あなたに、生きていて欲しかったのよ」
マリエッタの言葉をグレンツは信じることができない。
「そんなバカな理由で……」
「エリーは、それ程、切羽詰っていたのよ。長く同じ場所に居続けると、自分のことが、いつばれるかもしれない。でも、あなたの側に少しでも長くいたい。そんなジレンマの中、また違う家に養子にいくよう連絡がきた。それも遠い辺境の家へ」
マリエッタはフゥ、と1つ大きな息を吐く。
マリエッタの表情を見ながら、グレンツは疑問を口にする。
「なぜそれほどエリーのことに詳しいのですか」
「ウフフ、あの収納庫の中に居た時、真夜中になるとエリーは私の世話を焼くために毎日やってきていたの。暗闇だと私の目が見えないから、自分の表情を知られないと思っていたんでしょうね。色々と話してくれていたわ。私は相槌すら、なかなか打てなかったけど。決してグレンツが好きだとか、グレンツの為だとかは言わなかったけど、バレバレだったわね」
クスリ。とマリエッタは笑う。少し悲しそうに。
「だからといって、結婚は……」
「大丈夫よ。マーマリア伯爵が念には念を入れて、エリーの身元を隠しているから、そうそうエリーがサニオの孫だとは分からない。それに、私の監禁の件も、アーツや事務隊には話して了解を取っているわ。エリーのこれからは、社交界どころか、マーマリア伯爵の家から1歩も外には出られない。そういう契約ができているの。あなたはマーマリア伯爵の家に住みたくなければ住まなくていい。エリーが、あなたの人生の邪魔をすることは無いわ」
「そういうことを言っているのではありません」
「そうね」
今迄、少し軽い調子のマリエッタだったが、居住まいを正し、真剣な顔をする。
「今までの話は全て、理由付け。本当の理由は……。グレンツ、エリーと竜魂の儀をしなさい」
「え?」
「父親はマーマリア伯爵。母親はオイラント伯爵の娘。どちらも高位貴族の血を引くエリーは竜気がとても強いわ。そのうえ、あなたのことを自分の命と引き換えにしてもいいと思う程に愛している。竜魂の儀は滞りなく行えるはずよ。竜魂の儀を行えば、魂が混じりあう。エリーの寿命の半分をあなたは貰うことができるのよ」
マリエッタの言葉にグレンツは、あまりの驚きに言葉がでない。
「グレンツ。私は、あなたにいつも愚痴ばかりを聞かせていたわね。自分の寿命が短いこと、アーツと共に居られない事。あなたが私と同じ境遇だからこそ、自分の苦しい胸の内を打ち明けることができた。あなたのことを思いもしないで……。あなたが結婚しないのは、残りの人生があまりにも短い為。竜人のあなたは、周りより余りにも早く死のうとしている。私は、自分のことばかり嘆いていて、あなたのことを考えもしていなかった。グレンツ、死なないで。ううん、死なせないわ。あなたが嫌がったって、エリーと竜魂の儀をさせて、寿命を延ばしてみせるわ。竜人もどきになったとはいえ、私は人間で、アーツと竜魂の儀をしても、どうなるかは分からない。でも、あなたは確実に長く生きることができるようになる。お願いよ。私の我儘を聞いてちょうだい」
マリエッタは、隣に座るグレンツの手を両手で包み込む。
その大きな瞳からは、涙がポロリと落ちた。
「きゃあっ」
カクカクと、どこかで踊っていた竜王が、いきなりマリエッタを抱き上げた。
マリエッタがグレンツの手を取ったことが嫌だったのか、マリエッタがグレンツの為に泣いたのにムカついたのか。
そのまま、マリエッタをどこかへと連れて行ってしまう。
「グレンツーッ。竜王妃としての命令よーっ。エリーと竜魂の儀をやりなさー……」
連れ去られながら、マリエッタが叫ぶ。
その言葉は、途中で小さくなり、聞こえなくなっていった。
「マリエッタ様の命令、しかと賜りました」
グレンツはマリエッタの去って行った方へと向かい、深々と頭を下げたのだった。